千の風になって

2012/10/28 Sun 08:27

2週間前、
急な病で、父が帰らぬ人となった。

「医者は、心配いらない、って言ってるけど、
 イチオウ、連絡しておくな。」
と、入院した翌日の朝、兄から電話を貰ってから半日もたたずに、
この世を去ってしまうなんて。。。

すぐに電車で駆けつけたので、
最期を看取ることはできた。
子供3人(私達兄弟)に手を握られ、
静かに息をひきとった。

父の命を奪った病名は、血栓症による腸閉塞

痛みを訴えてすぐに、救急車でかけつけた病院が
この病気を見つけられず、
というか、適切な検査もせずに、一晩放置。
翌朝、症状が変わらぬ父を見て、慌てた医師が、やっとCTをとり、
ただの腸炎ではないと知り、
隣町の大きな病院に転送。

手遅れだった。

94歳という年齢を思えば、
たとえ、最初から病名を判断でき、手術したとしても
助かったかどうかはわからない。

しかし、
腸が壊疽をおこすほどの痛みに苦しんだひと晩は、
どれほど辛かっただろう。

『医者を責めても、生き返るわけではない。』
とは思うけど、
私はどうしても、最初に診断した医者が許せない。

裁判などをおこすつもりは全くないけど、
あの医者は、自分の診断ミスを充分反省しているだろうか?

こんな今の私を、空から父はどう見ているのだろう。

自分に厳しく他人に優しい父は、
やっぱり、あの医者も許しているだろうか。


鹿児島の貧しい半農半漁の家に、11人兄弟の長男として生まれた父は、
地元の小学校を卒業後、単身、上京。
親戚の家から高校に通った。
書生をしながら大学を卒業し、運輸省の秘書室で働きだしてすぐに、赤紙が届き、戦地へ。
復員後、大学の先輩に誘われ、福島の会社へ。
後に、小さな会社を設立した。

昔の人にも関わらず、英語はペラペラ。
他の事も、何を聞いても、即答できるほど、知識が豊富な人だった。

沢山の書物を読み、
パソコンも使いこなす。
常に向上心を持ち続けた努力家。

「子供は神様だ。」
と、孫を大変可愛がってくれた。

晩年は、会社の座を息子(私の兄)に譲り、
兄の家族に囲まれて
静かに、穏やかに過ごしていた。

このまま、
ゆるやかにゆるやかに衰え、静かに眠るように、
穏やかな最期を迎えることができますようにと願い、
そして、それは可能なことであろうと、家族初め誰もがそう思っていたのに。。。

残念でならない。

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兄から聞いた話では、
父が、
『千の風になって』
の歌を初めて聞いたとき、
「戦争で亡くなった戦友達の最期の言葉と同じだ。」
と、歌詞に大変共感したそうだ。

<ここからは、私が子供の時に何度も父から聞いた話です。>
最前線で戦う兵士達は、
戦死した戦友達の小指の先を切り、自分のお弁当箱にしまっておいたそうだ。
もし自分が無事に帰還できたら、
戦友の残された家族の元に、遺骨の一部でも届けてあげなくては、と思ったそうで、
これは、父だけでなく、皆そうしたそうな。
しかし、戦争はすぐには終わらなかった。
どんどんたまる小指。
生き残っている自分達の明日の命もわからない日々。
そんな時、
肉体は滅びても、魂は生き続ける。
魂は、風にのって、日本に、故郷に、家族の元に帰れる。


誰かが発した言葉に、皆同感。
小指は、土に返したそうだ。


父の遺骨は、いわきのお墓に埋葬されたが、
魂は、自由に、千の風になって、
故郷の鹿児島や、私の元(埼玉)や、
学生時代を過ごした都内や、
釣りを楽しんだいわきの海の上を、
先に亡くなった母と一緒に旅行した思い出の場所を、
自由に飛び回っているに違いない。
と、思うと、
少しだけ慰められる。

千の風の歌の話を、兄にしてくれていたのは、
残された私達への父の最後の優しさだった。
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